心理カウンセリング

適応障害の症状が、日々和らいできている気がする。

 

ひどいときは、パニックに陥ってどうすればいいかわからなかったり、心臓が苦しくて辛い気持ちだけを抱えていて日々つぶされそうであった。

 

和らぐと同時に、自分の身勝手さを思い起こしたり、もっと頑張れたのではないかという疑問が浮かぶ。

しかし、また自分を責めはじめたら再発するような気がしてそれも怖く、うすぼんやりとしか考えはしないのだが。

また、再就職して再発したらどうしようという不安もある。

適応障害が自身の性格に起因して発症してしまうのならば、また同じことを繰り返してしまうのではないか…そんな不安を抱え始めている。

 

そこで、心理カウンセリングを受けて認知のゆがみを改善していくのがいいのではないかと、調べてみた。

 

心理カウンセリングの効果の確実性や期間がいまいち判然とはしない。それなのに、

料金が高いのだ。

60分10000円が相場であろう、おそらく。

1回で性格改善出来る気がさらさらしないので、とても高く感じる。

かといって、安いと安いで対人のことなので不安がある。

 

認知のゆがみを矯正して性格を変えたい。

だがしかし、心理カウンセリングは高くて手が出ない。

 

自分で矯正していくほかないのだろうか。

 

ともだち

山田孝之主演、赤羽が舞台のドキュメンタリー風ドラマを観た。

役者としての壁に突如阻まれ、悩んだ末に赤羽の漫画に感銘を受けて赤羽に住みはじめるというドラマ。

その中で、わたしが印象的に感じたのは、綾野剛とのやり取りだった。

山田孝之との会話から、この二人がただの俳優仲間ではなく、無二の親友であると感じた。特に綾野剛山田孝之への理解が、親族以上に思えたから。

こんな風にお互いのことを認め合えて胸の内を語り合える仲間がいたら、人生が色濃く充実したものであり得る気がする。

この二人のような信頼関係は、どうしたら築けるのか。

腹を割って自分から語ることをいかに続けていけるか、なのか。

男性同士だからありうる関係なのか?

女性同士は難しいのか…。

 

 

自己分析

適応障害になりやすい性格があるとお医者さんは言った。

自己肯定感が低く、他人依存型の性格でいい顔をしてしまいがちな性格。

まさに自分のことだった。

 

母親が根っからの真面目人間で、しつけにとても厳しかった。

自分のことよりもまず他人のことを考えるようにという教育方針の元、マナーから考え方に至るまで他人はどう思うかという視点にたてというしつけ。

 

私が長子であることもあり、そのしつけの厳格さはすさまじかった。

 

いつも怒られてばかりだった。

わたしは奔放で気が強い性格だったので、相当手を焼いたのだろう。

本当に母は怖かった。

スーパーで泣き止まなかったわたしに堪忍袋の緒が切れ、「家に帰ってからそんなだったら知らないから。」と怒られ、家に入るなり突き飛ばされた記憶がある。

また、打たれたり不機嫌な顔を向けられ続けたりしたこともよく覚えている。

 

そんな幼少期だったから、母のことが恐ろしくて仕方が無かった。

なにかしたら怒られるのでは?打たれるのでは?

いつも怯えて顔色を伺って、自分では何も決められない、つまりは決めたことで怒られるのが怖くて指示待ちになるといった子供だった。

そんな性格だったので、強気に出てくる人たちに対しても何か恐れを感じてしまうのであった。

 

大人になってからは、強気な人たちと距離を置くすべは身につけた。

だが、自己肯定感の低さはどうしようもなく常に抱えていたのだった。

 

自信のなさ。

この厄介な性格は、自分の首を幾度となく締め付けてくる。

 

 

適応障害とうつ

心療内科の診察結果は、適応障害だった。

うつだと思い込んでいたのだが、先生いわく今時はうつ病とよくいうものがほぼ適応障害なのだと。

 

適応障害と診断されたが聞きなれず謎が多かったので、それに関する本を読んだ。

岡田尊司先生の本。

わかりやすくて優しく教えてくれるという、偉そうでも押しつけがましいわけでもないという文体が読みやすくて心の負担にもならない。

そんな本であった。

 

本によると適応障害になりやすい性格や考え方があるらしい。

確かに当てはまることが多かった。

また、ストレスを小さいうちにうまく解消していくことが言わずもがな大事なわけだが、それが自分は全くできておらず、気が付いた時には手遅れだった。

気が付いた後も、辛い気持ちをみないように無視するようにして日々をやり過ごしていた。そんなことも良くなかったのだ。

 

 

今となっては、あの時ああしていれば…と後悔することも多い。

 

そんなことを思ってみても仕方ないのだが。

 

心が晴れず辛い気持ちだけを抱えてそれに押しつぶされそうになる。

思考もはっきりしない。

そんな日々が苦しい。

 

こんな日常を味わわずにすんだのに…と。

 

 

 

 

心療内科の予約って・・・。

コンタクトをとること自体も苦痛極まりなくなってしまった。

 

社員として社会人として、そしてこの年齢でいかがなものか。

と思うのだが、体裁を整える心の余裕がないのだ。

 

行かなければ。

電話連絡しなければ。

そう思うだけで、とめどなく涙が流れて辛くなる。気持ちのやり場がない。

 

 

これはうつなのか?出社拒否症なのか?

自分でもどうしたらよいのかわからず、心療内科を受診しようと思った。

 

病院だから、当日予約でいける。と思って、近所の病院へ連絡してみたら、

なんと1週間先でないと予約できないと言われた。

こんなに苦しんでいるのに、今すぐが無理なんて絶望的だ。

他にも数か所電話で問い合わせたものの当日予約の診療は不可能なのであった。

心療内科には急患とかないのだろうか?

ここで自殺してしまう人がいたらどうするんだ?怒りを覚えた。

しかし、そんなことを言っては解決に向かわないので、数か所の中から口コミの評判がよく、電話対応が感じのいい医院へ予約をいれた。

 

私の症状が一体何なのかは自分でよくわからないが、自分の気持ちや状況を伝えようとすると涙が出て感情を抑えられない。

 

複数心療内科へ電話してみたら、いきなり症状は?と聞かれて意味が分からなかった。

精神的に病んでいること以外で医者にかかろうとする理由がいるのか?

そして、全くのはじめての他人に自分の辛さを伝えるのは気が引けるものだ。

その点が電話応対をしているくせにわからないのか?

憤りを覚えた。

そこの医院へいくことはないだろう。

こちらは精神的にいっぱいいっぱいで他人を思いやる余裕すらないのだから。

思い出すだけで腹立たしい。

 

 

 

 

 

他人とは自分勝手なもの。

職場に行きたくない。

いつからそう思い始めたのか、思い出せない。

年明けから徐々に心が病んできたような気がする。

 

表面上は、みんないい人。

意地悪をする人はいないから。

でも、思いやりは皆無。

みんな気が付かない、気が利かない。

問題があるときは他人のせい。我を振り返らず。

年のせいなのか、仕事で手一杯だからなのか。

 

就職当初に自分の部署でごたごたがあって、すぐ辞めるって言ったけど、その問題は解決されたので働き続けてきた。

今となってはその時点で辞めていればこんな思いをすることはなかったのにと考えている。

その問題も人間関係だったから。

その時から、職場の人たちに対する不信感は拭えないし心を開けなくなった。

仕事だから、と特にその気持ちに対して深く考えることもしなかった。部署も違うし。

 

同じ部署の直属の先輩は仕事の鬼できっちり真面目タイプ。

わたしとは対照的だ。

仕事面で助けられていることや迷惑をかけていることが多いことはわかっている。

最初のころは先輩に感謝する気持ちがあったけれど、細かいことをたくさん指摘されすぎ、そして言い方のキツさや態度の悪さに段々と気持ちがつぶれていった。

0か100か。

割り切れないところもあると思う。

そして正しいことだからとガンと主張されても受け入れられないのが人情ではないのか。

人と人がうまくやっていく為には、接し方や言い方も考えていかなくてはいけないと私は思うのだ。

対人関係を円滑にしていく術を身につけるのも仕事のうち。

 

上司は面接の時の対応が無表情すぎて、就職して大丈夫なのかと心配になったことを今でも覚えている。

職場ではにこやかに和やかな対応をしているし、周りからもあの上司は会社の中でいい方だと聞いた。

確かに人当たりがよい。

素敵な人だな、なんて思っていたが、最近はそうも思えない。

表面上は穏やかかもしれないが、この人も思いやりがないのではないかと思いはじめた。職場での悩みを話したが、その後に私を心配して声をかけてくれるということはない。

 

わたしは、職場に悩んでいる人がいたり落ち込んでいる人がいたら声をかけるタイプなので、理解し得ない。

職場にいるときは、ほぼ至って普通に・・・いやむしろ愛想よく振る舞ってしまう性なため気が付いてもらえないということもあるかもしれないが。

こんな自分の八方美人ぶりにも嫌気がさす。

 

もういきたくない。

 

人は他人に迷惑をかけてはいけないという。

しかし、自分がつぶれそうな時に他人を思いやれない。

社会人としてとか、そんな常識も知らない。

どんなことを言われても、結局自分たちが困るから言っている。

としか思えない。